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相続

【相続】相続放棄の熟慮期間の起算点が繰り下げられるのはどんなとき?

2021.04.23

1.はじめに

前回の記事で、「三か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかつたのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、(中略)相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があつて、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、(中略)熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべき」と判断した最高裁昭和59年4月27日判決を紹介しました。

 

では、具体的に相続放棄の熟慮期間が起算点を繰り下げることを認められるのはどのような場合で、反対に認められないのはどのような場合なのかを見ていきたいと思います。

※下線は当事務所によるもの

 

 

2.起算点の繰り下げが認められたケース

 

①仙台高裁平成元年9月1日決定

 (1) ところで、相続放棄の申述を受理するかどうかを判断するに当り、家庭裁判所がいかなる程度、範囲まで審理すべきかは、受理審判の法的性質をいかに考えるかによるものであるが、相続放棄は自己のために開始した不確定な相続の効力を確定的に消滅させることを目的とする意思表示であつて、極めて重要な法律行為であることに鑑み、家庭裁判所をして後見的に関与させ、専ら相続放棄の真意を明確にし、もつて、相続関係の安定を図ろうとするものである。

 従つて、受理審判に当つては、法定の形式的要件具備の有無のほか、申述人本人の真意を審査の対象とすべきことは当然であるが、法定単純承認の有無、熟慮期間経過の有無、詐欺その他取消原因の有無等のいわゆる実質的要件の存否の判断については、申述書の内容、申述人の審問の結果あるいは家庭裁判所調査官による調査の結果等から、申述の実質的要件を欠いていることが極めて明白である場合に限り、申述を却下するのが相当であると考える。けだし、相続放棄申述受理審判は非訟手続であるから、これによつて相続関係及びこれに関連する権利義務が最終的に確定するものではないうえ、相続放棄の効力は家庭裁判所の受理審判によつて生じ、それがなければ、相続人には相続放棄をする途が閉されてしまうのであるから、これらの点を総合考慮すると、いわゆる実質的要件については、その不存在が極めて明らかな場合に限り審理の対象とすべきものと解するのが相当だからである。

  (2) これを本件についてみるに、前記2で認定した事実によれば、抗告人らは被相続人が生前不動産を所有し、相続財産としてこれらの不動産が存在することは認識していたものの、抗告人らの意識では、これらは農家にあつては、後を継ぐべき長男が取得するもので、抗告人らが相続取得することはないと信じ、被相続人には債務がないものと信じていたものであり、かつ、前記2の被相続人の生活歴、本件債務の発生原因、抗告人らと被相続人及び茂明との交際状態等からして、そのように信じたとしても無理からぬ事情があることが窺われるのである。従つて、民法915条1項の起算日については、前記2の昭和63年11月に農協から請求を受けて債務の存在を知つた時と解する余地がないわけではないと考えられる。

  (3) そうであるとすれば、抗告人らの本件相続放棄の各申述は、(1)に従い、受理すべきが相当である。

 

②福岡高裁平成2年9月25日決定

二 家庭裁判所は、相続放棄の申述に対して、申述人が真の相続人であるかどうか、申述書の署名押印等法定の方式が具備されているかどうかの形式的要件のみならず、申述が本人の真意に基づいているかどうか、三か月の熟慮期間内の申述かどうかの実質的要件もこれを審理できると解するのが相当であるが、相続放棄申述の受理が相続放棄の効果を生ずる不可欠の要件であること、右不受理の効果が大きいこととの対比で、同却下審判に対する救済方法が即時抗告しかないというのは抗告審の審理構造からいって不十分であるといわざるをえないことを考えると、熟慮期間の要件の存否について家庭裁判所が実質的に審理すべきであるにしても、一応の審理で足り、その結果同要件の欠缺が明白である場合にのみ同申述を却下すべきであって、それ以外は同申述を受理するのが相当である。このように解しても、被相続人の債権者は後日訴訟手続で相続放棄申述が無効であるとの主張をすることができるから、相続人と利害の対立する右債権者に不測の損害を生じさせることにはならないし、むしろ、対立当事者による訴訟で十分な主張立証を尽くさせた上で相続放棄申述の有効無効を決する方がより当を得たものといいうる。そして、相続人において相続開始の原因となる事実及びこれにより自己が相続人となった事実を知った時から三か月以内に相続放棄の申述をしなかったのが、相続財産が全くないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由がある場合には、右熟慮期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である(最高裁昭和五九年四月二七日判決・民集三八巻六号六九八頁)。

 三 ところで、本件記録によれば、抗告人A(大正一三年一〇月一五日生)はB(大正一五年二月一日生)の妻、同C(昭和二九年七月二二日生)はその子であること、Bは昭和六三年一〇月二八日心不全で死亡したこと、BとDとの間には、「昭和五四年八月四日、DがEに対し、五〇万円を弁済期同年九月三日、利息年一割八分、損害金年三割六分の約で貸し付け、Bほか二名が連帯保証した」旨及び全債務者の執行受諾文言が記載された福岡法務局所属公証人船津敏作成の昭和五四年第一九九七号金銭消費貸借契約公正証書(以下「本件公正証書」という。)が存在すること、抗告人両名は、平成元年一一月二八日に同月二四日付承継執行文の付された本件公正証書謄本の送達を受け、同年一二月一二日ごろにはDから同月一一日付の請求書で抗告人両名の各相続分が六九万三五八八円になるとしてその即時支払を請求されたこと、抗告人両名代理人の〇〇弁護士は、同年一二月二〇日、福岡家庭裁判所小倉支部に対し本件相続放棄の申述をしたことが認められ、抗告人両名は、本件において、要旨、次のとおり陳述する。「Bは、昭和六一年会社を退職して以来年金生活をしていたが、住居は借家であったし、貴金属、預金等の財産と呼べるものは何も残していなかったので、A としてはその後の生活をどうするかで頭がいっぱいであり、相続のことなど頭に浮かびもしなかった。また、Bは無口なたちで、A に外でのことを話すことは余りなかった。それで、A はBの生前、借金のことを聞いたことはなかったし、債権者から家に支払の催促が来たことの記憶もない。A は、平成元年一〇月一日男の人から電話でBの所在を尋ねられ、死亡したことを伝えると、死因等を聞かれた後、同人の借金を払ってもらわないといかんといって、電話をきられた。残金や連絡先など詳しいことは聞かなかった。Aは、同月五日区役所の無料法律相談に行って債務の相談のことを聞き、翌六日福岡在住のCに電話して対策を相談した。そして翌七日両名で弁護士事務所を訪れ、相続放棄制度の教示を受けた。しかし弁護士に委任すれば費用がかかることでもあり、同弁護士からもBに本当に借金があったかどうかもう少し様子をみてみたらどうかと助言を受け、両名で対策を思案していたところ、同年一一月二八日、本件公正証書謄本の送達を受けて初めてその内容を知り、先ごろの電話の主がDであったと推測できた。そこで再度弁護士に相談したところ、利息を加えると元金より多くなっているかもしれないことや今からでも相続放棄の申述が間に合う可能性があると教えられ、同年一二月九日同弁護士に本件相続放棄の申述手続を委任した。Cは昭和四〇年ころ大学生当時にBと別居し、昭和五七年結婚して独立し、以来福岡市内に居住しているので、同人の仕事や生活関係のことは殆ど知らず、借金の話など聞いたことがなかった。

 そして、前記認定のとおり、相続債務たるBの債務が保証債務であること、本件記録上、Bが積極財産を残した形跡を認めるに足りる資料はないこと、その他前記認定の事実によれば、平成元年一一月二八日に本件公正証書謄本の送達を受けて初めてBの債務の内容を知ったとの、抗告人Cの前記陳述部分は首肯できるものである。他方、本件記録によれば、Dは本件公正証書に基づいて昭和五五年Bの電話加入権を差押え、抗告人A が昭和六一年これを買い受け、同年一〇月一四日Dは弁済金の交付を受けたことが認められ、この事実に照らすと、抗告人A の同趣旨の陳述部分をそのまま首肯することには疑問がないわけではないしかしながら、同抗告人が電話加入権を買い受けたのが昭和六一年であったこと、右買受けの具体的経緯を認めるに足りる資料が何もないことを考えれば、同抗告人が昭和六三年一〇月二八日のB死亡時に相続財産が全くないと信じ、かつ、このように信ずるについて相当な理由があった場合に当たらないことが明白であるとまでいうのも躊躇される。なお、本件記録によれば、Bは昭和六二年一一月二八日本件公正証書上の遅延損害金債務の履行としてDに対し二万九五八九円を支払ったことが認められるが、このことも右判断を左右するものではない。

 そうすると、抗告人両名の民法九一五条一項本文所定の三か月の熟慮期間は、本件公正証書謄本が送達された平成元年一一月二八日から起算されると認める余地があるから、本件相続放棄の申述はこれを受理するのが相当である。

 

③名古屋高裁平成19年6月25日決定

1 一件記録によると,抗告人は,被相続人B(以下「被相続人」という。)の二女であること,被相続人は,平成18年3月29に死亡し,抗告人は,同日,被相続人の死亡を知ったこと,被相続人の遺産には,○○市○○×丁目×番×の土地等の不動産が存在し,抗告人は,被相続人の死亡を知った時点において,被相続人に上記不動産の遺産があることを知っていたこと,しかしながら,抗告人は,昭和54年ころから被相続人と別居しており,先に抗告人の父であり被相続人の夫であるC(平成7年×月×日死亡)の遺産である土地を相続取得していたことや被相続人の遺産の1つである○○市△△×丁目×番×号の土地上には被相続人の居宅と共にその長女であるDの居宅が存在したことなどから,被相続人の遺産である不動産はすべてDが相続するものと考えていたこと,また,抗告人は,Dとは日常生活において疎遠であったことなどから,Dと被相続人の遺産分割の話などはしたことがなかったこと,抗告人は被相続人の死後の平成19年3月にDから知らされたことであるが,被相続人は,被相続人の有する一切の財産をDに相続させること等を内容とする遺言公正証書(以下「本件公正証書遺言」という。)を平成18年×月×日○○法務局所属公証人□□□□に嘱託して作成していたこと,ところが,抗告人は,平成19年2月28日,東京地方裁判所平成19年(ワ)第××号譲受債権請求事件(以下「別件訴訟事件」という。)の訴状を受け取ったことにより,被相続人が,株式会社○○銀行に対する連帯保証債務(Dの夫であるEが代表取締役を務める株式会社△△と同銀行との間の消費貸借契約に基づく株式会社△△の同銀行に対する主債務一切を保証する内容の連帯保証債務,以下「本件債務」という。)を負担していたことを初めて知ったこと,そこで,抗告人は,平成19年3月14日に岐阜家庭裁判所に対し本件相続放棄の申述を行ったこと等が認められる。

2 民法915条1項所定の3か月の熟慮期間は,原則として,相続人が,相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時から起算すべきものであるが,相続人が,上記各事実を知った時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが,被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり,かつ,被相続人の生活歴,被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって,相続人においてこのように信じるについて相当な理由があると認められるときには,上記熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である(最高裁昭和59年4月27日第二小法廷判決・民集38巻6号698頁)。

 そこで検討するに,抗告人は,被相続人の死亡を知った当時,被相続人の遺産として不動産が存在することは認識していたものの,上記認定の事情の下で,抗告人は,上記不動産は姉であるDが相続して自らは相続取得しないもの,したがって自らには相続すべき被相続人の相続財産はないものと信じていたことが認められ,かつ,抗告人は後になって知ったこととはいえ,被相続人が平成18年×月×日に被相続人の一切の財産をDに相続させる旨の本件公正証書遺言を遺していること等からすれば,抗告人が被相続人の死亡時において,被相続人の遺産をすべてDが相続し自らには相続すべき財産はないと信じたことについて,相当の理由があったものと認めることができる

 また,上記認定の事実によれば,抗告人は,被相続人の遺産に相続債務が存在することを知らず,平成19年2月28日に別件訴訟事件の訴状を受け取って初めて本件債務の存在を知ったことが認められるとともに,本件債務が,Dの夫が代表取締役を務める会社の取引銀行に対する債務を主債務とする連帯保証債務であることや,抗告人,被相続人,D及びその夫の居住関係及び交際状況等に鑑みれば,抗告人が被相続人の上記債務の存在を知り得るような日常生活にはなかったものと推認されることなどからすれば,抗告人が上記の時点まで本件債務の存在を認識しなかったことについても,相当な理由があったものと認めることができる。

 そうすると,本件における熟慮期間の起算日は,抗告人が別件訴訟事件の訴状を受け取って本件債務の存在を知った日である平成19年2月28日と解するのが相当である。

 3 以上からすれば,平成19年3月14日に行った抗告人の本件相続放棄の申述は,未だ熟慮期間内の申立てであるから,これを受理するのが相当である。

 

④東京高裁平成19年8月10日決定    

抗告人は,平成18年4月20日,その親族が本件相続財産の登記事項全部事項証明書を入手したことにより,同相続財産には,平成11年×月×日,極度額××万円の根抵当権設定の仮登記(権利者株式会社○○○)がなされていることを知った。そこで,抗告人の長男であるDが弁護士Iに依頼し,被相続人の債務を調査したところ,被相続人が債権者・根抵当権権利者を株式会社○○○とする債務につき,連帯保証(主債務者は自己破産)をしている事実が判明した。上記債務の残元本は平成13年時点で1200万円に達しており,超過利息の元本算入をしても,残元本の額は600万円を下回らない。(中略)

2 以上の事実によれば,抗告人は,平成5年×月×日,抗告人の夫Cの死亡に伴い遺産分割協議をし,被相続人が本件相続財産及び現金100万円を取得したことを知っていたもので,平成17年12月17日の被相続人の死亡という相続開始の原因たる事実を知った時点で,自己が相続人となったこと及び被相続人には本件相続財産が存していることを知っていたとみられる

 しかしながら,相続人において相続開始の原因となる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが,相続財産が全く存在しないと信じたためであり,かつ,被相続人の生活歴,被相続人と相続人との間の交際状況その他諸般の事情からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって,相続人において上記のように信ずるについて相当な理由がある場合には,民法915条1項所定の期間は,相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又はこれを認識し得べかりし時から起算するのが相当である(最高裁昭和59年4月27日判決・民集38巻6号698頁)。そして,上記判例の趣旨は,本件のように,相続人において被相続人に積極財産があると認識していてもその財産的価値がほとんどなく,一方消極財産について全く存在しないと信じ,かつそのように信ずるにつき相当な理由がある場合にも妥当するというべきであり,したがって,この場合の民法915条1項所定の期間は,相続人が消極財産の全部又は一部の存在を認識した時又はこれを認識し得べかりし時から起算するのが相当である。

 これを本件についてみるに,抗告人は,平成17年12月17日の相続開始の時点で,被相続人には本件相続財産が存していることを知っていたが,本件相続財産にほとんど財産的価値がなく,一方被相続人に負債はないと信じていたものであり,かつ抗告人の年齢,被相続人と抗告人との交際状況等からみて,抗告人においてそのように信ずるについては相当な理由があり,抗告人が被相続人の相続債務の存在を知ったのは,早くとも平成18年4月20日以降とみられるから,本件の場合,民法915条1項所定の期間は,同日から起算するのが相当である

 そして,抗告人は,平成18年6月20日,本件相続放棄申述をしたものであるところ,上記申述は,上記の同年4月20日から3か月の熟慮期間内に行われたものであるから,適法なものというべきである。

 

⑤高松高裁平成20年3月5日決定

2 相続人は,自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に,相続について,単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならないとされ(民法915条1項本文),上記3か月の熟慮期間については,相続人が相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が相続人となったことを覚知した時から起算するのが原則である。

 本件においては,前記のとおり,抗告人はかつて被相続人と同居し,別居後も年に数度は被相続人と会っており,被相続人所有の宅地上に建築された被相続人及びDの共有する建物にはC及びDが被相続人とともに居住していたことからすれば,抗告人らは,被相続人の死亡により自己のために相続の開始があったことを知るとともに,被相続人が上記不動産(自宅敷地の所有権及び建物の共有持分権)を含む積極財産を有することを知っていたものと認められるから,熟慮期間の起算点は平成18年6月×日であるところ,抗告人が本件申立てをしたのは平成19年11月×日であって,それまでに既に3か月の期間が経過していることは明らかである。

 しかしながら,相続人が,自己のために開始した相続につき単純若しくは限定の承認をするか又は放棄をするかの決定をする際の最も重要な要素である遺産の構成,とりわけ被相続人の消極財産の状態について,熟慮期間内に調査を尽くしたにもかかわらず,被相続人の債権者からの誤った回答により,相続債務が存在しないものと信じたため,限定承認又は放棄をすることなく熟慮期間を経過するなどしてしまった場合には,相続人において,遺産の構成につき錯誤に陥っており,そのために上記調査終了後更に相続財産の状態につき調査をしてその結果に基づき相続につき限定承認又は放棄をするかどうかの検討をすることを期待することは事実上不可能であったということができるから,熟慮期間が設けられた趣旨に照らし,上記錯誤が遺産内容の重要な部分に関するものであるときには,相続人において,上記錯誤に陥っていることを認識した後改めて民法915条1項所定の期間内に,錯誤を理由として単純承認の効果を否定して限定承認又は放棄の申述受理の申立てをすることができると解するのが相当である。なお,最高裁昭和57年(オ)第82号同59年4月27日第二小法廷判決・民集38巻6号698頁は,本件と事案を異にするものであり,前記のように解しても上記判例と抵触するものではない。

 これを本件についてみると,前記のとおり,Dは,被相続人死亡後間もない時期に本件農協○○支所を訪れて被相続人の本件農協に対する債務の存否を尋ね,同債務は存在しない旨の回答を得,そこで,抗告人らは本件農協における被相続人名義の普通貯金の解約や出資証券の払戻しの手続を執るなどしたものであるが,それは,抗告人らにおいて同債務が存在しないものと信じたことによるものであり,それゆえに,抗告人らは被相続人死亡時から3か月以内に限定承認又は放棄の申述受理の申立てをすることもなかったものと認められる。

 こうした事情に照らせば,抗告人らは本来の熟慮期間内に被相続人の本件農協に対する債務の有無及び内容につき調査を尽くしたにもかかわらず,本件農協の誤った回答により同債務が存在しないと信じたものであって,後に本件農協からの通知により判明した被相続人の本件農協に対する保証債務の額が残元金7500万円余という巨額なものであることからすれば,上記のような抗告人らの被相続人の遺産の構成に関する錯誤は要素の錯誤に当たるというべきである

 そうすると,抗告人は,錯誤を理由として上記財産処分及び熟慮期間経過による法定単純承認の効果を否定して改めて相続放棄の申述受理の申立てをすることができるというべきであって,抗告人が平成19年9月×日ころに本件農協からの通知を受けて被相続人の債務の存在を知った時から起算して3か月の熟慮期間内にされた本件の相続放棄の申述受理の申立ては適法なものとしてこれを受理するのが相当である。

 

 

3.起算点の繰り下げが認められなかったケース

 

①仙台高裁平成4年6月8日決定

抗告の理由2は要するに、抗告人らの熟慮期間の起算日は、抗告人らがその主張する交通事故に基づく損害賠償請求の訴状の送達を受けた日、すなわち平成三年九月一九日である、というのである。

 しかしながら、熟慮期間は、抗告人らも引用する最高裁判所判決(民集三八巻六号六九八頁)の判示のとおり、原則として、相続人が、相続開始の原因となった事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時から起算すべきであるが、例外的に、相続人が上記事実を知った場合であっても、上記事実を知った時から三箇月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、相続財産(積極及び消極財産)が全く存在しないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由があるときには、熟慮期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算すべきものと解するのが相当であり、相続人が相続開始の事実と自己が相続人となった事実を知った時既に積極であれ消極であれ相続財産の一部の存在でも認識し又は通常であれば認識しうべかりし場合は、熟慮期間の起算点を繰り下げる余地は生じないのである。

 記録によれば、原審判が認定する本件の事実関係は、優にこれを認めることができ、この事実関係の下においては、本件の熟慮期間の起算日は、抗告人らにおいて被相続人小野新作が死亡したことを知った平成三年二月二一日であるというべきであり、本件相続放棄の申述が受付けられたのは平成三年一〇月二九日であること記録上明らかであるから、本件相続放棄の申述は民法九一五条一項に定められた期間を経過した後になされたことが明らかである(原審判が、損害賠償債務について説示する部分は、付加的理由として説示していることが明らかである。)。

 

 

②高松高裁平成13年1月10日決定

 抗告人は、平成12年11月20日まで被相続人に高額の相続債務が存在することを知らず、そのことに相当な理由があるから、民法915条1項所定の熟慮期間は同日から起算すべきである旨主張する。

 しかし、民法915条1項所定の熟慮期間は、遅くとも相続人が相続すべき積極及び消極財産(相続財産)の全部または一部の存在を認識した時または通常これを認識しうべき時から起算すべきである(最判昭和59年4月27日・民集38巻6号698頁)。

 そして、前示1引用の原審判理由説示及び一件記録によると、抗告人は、被相続人の死亡をその当日に知り、それ以前に被相続人の相続財産として、宅地約68.83平方メートル、建物約56.30平方メートル、預金15万円があることを知っていたといえるから、抗告人は被相続人の死亡の日にその相続財産の一部の存在を認識したものといえる。

 そうすると、民法915条1項所定の熟慮期間は、被相続人の死亡の日である平成9年3月6日から3か月であるといえるから、同期間経過後になされた本件相続放棄の申述は不適法である

 

③東京高裁平成14年1月16日決定

(1) 抗告人らは、相続人が相続の開始の原因たる事実及びこれにより自己が相続人となった事実を知った場合であっても、3か月以内に相続放棄をしなかったことが、相続人において相続債務が存在しないか、あるいは、相続放棄の手続をとる必要をみない程度に少額にすぎないと誤信したためであって、かつ、そのように信ずるにつき相当の理由がある場合には、相続債務のほぼ全容を認識したとき又は通常これを認識すべきときから起算すべきものと解するのが相当であるとして、本件の場合の民法915条所定の熟慮期間の起算点は、被相続人の債権者である株式会社A 銀行から抗告人らが訴えにより初めて請求を受けた日である平成13年8月24日(抗告人X2については同月25日)とすべきであると主張する。

(2) しかしながら、相続の承認又は放棄に係る3か月の熟慮期間は、原則として、相続人が相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時から起算すべきものであり、相続人が上記各事実を知った場合であっても、その時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかった原因が、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の事情からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があって、相続人において自己が相続すべき遺産がないと信じたためであり、かつ、そのように信じるについて相当な理由があると認められるときには、当該熟慮期間は相続人が自己が相続すべき財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である(最高裁判所昭和59年4月27日第二小法廷判決・民集38巻6号698頁参照)。

 これを本件についてみるに、抗告人らは、被相続人が死亡した直後である平成10年1月9日ころ、被相続人が所有していた不動産の存在を認識した上で他の相続人全員と協議し、これを長男である抗告人X3に単独取得させる旨を合意し、同抗告人を除く他の抗告人らは、各相続分不存在証明書に署名押印しているのであるから、抗告人らは、遅くとも同日ころまでには、被相続人に相続すべき遺産があることを具体的に認識していたものであり、抗告人らが被相続人に相続すべき財産がないと信じたと認められないことは明らかである。

 抗告人らは、要するに、相続人が負債を含めた相続財産の全容を明確に認識できる状態になって初めて、相続の開始を知ったといえる旨を主張するものと解されるが、独自の見解であり、採用することはできない。

(3) そうすると、本件において、抗告人らは、遅くとも、遺産分割協議をした平成10年1月9日ころまでには、被相続人の遺産の存在を認識し、自己のために相続の開始があったことを知ったといわざるを得ないから、民法915条所定の3か月の熟慮期間は、同日の翌日を起算日として計算すべきであり、抗告人らがした平成13年10月24日付けの本件各相続放棄の申述は、明らかに熟慮期間を経過した後にされたものである

 

 

4.まとめ

以上のとおり、裁判例を概観すると、相続人が相続財産の一部の存在を知っていたようなケースにおいては相続放棄を認めるか否かについて、結論が分かれており、実務上の見解が固まっているわけではないという見方もできるところです。

 

そのため、相続人としては、相続開始の事実を知り、かつ、自分が相続人になったことを知った以上は、相続財産が存在しないだろうと安易に決めつけずに、3か月以内に十分な相続財産の調査を行うことが重要といえるでしょう。

 

 

 

 

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