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離婚・男女問題
【離婚】有責配偶者からの離婚請求~不倫以外のケース~
1.はじめに
「有責配偶者」という言葉ぐらいは聞いたことがあるという方もおられると思います。
もっとも、具体的に有責配偶者とはどういう人のことを指すのかというとなかなかイメージがつきにくいかもしれません。
今回は、判例を紹介しながら、どういうケースであれば有責配偶者となるのかということを説明したいと思います。
2.有責配偶者の定義
判例では、有責配偶者について、「婚姻関係が破綻した場合においても、その破綻につきもつぱら又は主として原因を与えた当事者」(最高裁昭和38年6月7日判決)とか「およそ婚姻関係の破綻を招くについて、もつぱら、または、主として責任のある当事者」(最高裁昭和38年10月15日判決)といった表現が用いられています。
要するに、婚姻関係が壊れる原因を作った側の配偶者が有責配偶者ということになります。
このような説明をすると、いかなるケースでも有責配偶者とそうでない配偶者に分けられると思われる方もおられるかもしれませんが、そういうわけではありません。
離婚にあたってどちらが有責配偶者なのかということを必ずしも決めるというわけではありません。
実務的には、不倫が問題となるケースにおいて有責配偶者かどうかということが議論されることが圧倒的に多いといえます。
そのため、不倫をした側の配偶者のことを指して有責配偶者という表現が用いられることが多いように思いますが、実際は上記の判例の定義を見てもわかるとおり、有責配偶者という言葉は不倫のケースだけに限られるものではありません。
判例では、不貞行為以外のケースでも有責配偶者という認定をされたものも存在します。
そのような判例の極めて数は少ないですが、いくつか紹介してみましょう。
※下線は当事務所によるものです。
3.不倫以外のケースで有責配偶者と認定された裁判例
①夫が婚姻費用を支払わず、姑による嫁いびりに加担した事案(東京高裁平成元年5月11日判決)
一 〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められる。
1 被控訴人(昭和一七年二月二七日生)と控訴人(昭和一七年二月六日生)は、共に洋服仕立の職人をしていたが、昭和四三年春頃見合いをし、昭和四三年一一月一七日結婚式を挙げ、同年一二月二四日婚姻の届出を了した。二人の間には、長男A(昭和四四年八月一六日生)と二男B(昭和四七年一月三日生)がある。
2 控訴人と被控訴人は、新津市山谷の被控訴人がその母C(大正五年七月二〇日生)と同居していた借家で、仲睦まじく新婚生活を始めた。控訴人も当初は、そこから新潟市内の洋服店へ通勤したが、間もなく長男を妊娠したため辞めた。なお同居後婚姻の届出が遅れたのはCが入籍に反対していたためであり、Cは知人に対し、控訴人に聞こえるような声で、「嫁なんてものは、二、三年籍なんか入れないものだ。子供なんか二、三年生まないで家のため働くものだ。」と言ったりしていた。しかし、控訴人が妊娠したことがわかり、被控訴人は婚姻の届出をしたのであるが、そのことをCが知ると、Cは「俺の戸籍をポツンと切りやがって」などといった。またその頃、Cの姉が自殺するという事件がおきたが、Cは、姉はその息子の嫁にいじめ殺されたのだなどと言い出し、その後は、控訴人に対するあてこすりの態度が露骨になった。
3 昭和四四年三月頃、Cは、被控訴人ら夫婦の洋服の仕立が遅れていることに文句をつけたことから、被控訴人ら夫婦と口論となり、被控訴人に出て行けと言い、遂には控訴人の作った食事に手を付けないということがあった。
同年八月に長男Aが生まれたが、Cは、Aが被控訴人の子ではないと仄めかすようなことを言い、また絶対性包茎で手術すれば治るにも拘らず片輪を生んだと言ったりした。同年九月頃には被控訴人は勤めを辞めて洋服仕立職人として独立し、訴外田巻信二の下請を自宅でするようになり、控訴人は被控訴人の仕事を手伝った。
4 昭和四五年六月頃、被控訴人は、現在居住している吉岡町の土地を購入したが、Cが、再婚した夫と別れた後長年親一人子一人で被控訴人を育てながら働き、将来自分の家屋敷を持つことを楽しみにしていたため、土地の登記の所有名義をCとした(昭和四五年七月一一日登記経由)が、その購入資金の大部分は、被控訴人が結婚する前約五年の間Cとそれぞれ働いてC名義で蓄えていた預金で賄われた。
昭和四六年には、右吉岡町の土地に家を建てたが、その資金は、Cの遺族年金を担保とする借入を主に、被控訴人が田巻からした四〇万円の借金等で賄い、被控訴人も貯金から三〇万円を出し、登記上の所有名義をCとした(昭和四六年一〇月二八日登記経由)。被控訴人は、田巻からの借金を月賦で返済したが、これは控訴人と共に働いた稼ぎによった。控訴人は、右土地、建物の所有名義をCにしたことをまもなく知り、そのことで被控訴人に文句を言うようになり、被控訴人がいずれ自分たちのものになるのだからと言って諌めても聞かず、さらには被控訴人に対し、被控訴人親子を些細なことで泥棒呼ばわりをしたり、また控訴人が、Cが風呂に入った後は汚れているから入りたくないと言ったりしてもめ、家庭内に波風が絶えなくなった。しかし被控訴人も、控訴人とCとの間で問題が起きたとき、つきつめて解決しようとせず、その場逃れの対応をするにとどまった。
5 Cは、昭和四六年八月に勤めを辞め、以後家に居るようになったが、その気丈で勝気な性格の故もあって、同じく気の強い控訴人とは、ますます感情的に対立するようになり、喧嘩になると控訴人のみならず、被控訴人に対しても「出てゆけ」と口走っていた。
昭和四七年に二男が生まれてからも右のような事態は変わらず、Cは、控訴人を叩き出せと被控訴人を煽ったり、控訴人の叔母や従兄弟を呼びつけて、こんな嫁も子供もいらん、連れて帰れと責め立てるような始末であった。
その頃、控訴人とCが、余りに酷い口論をするため、被控訴人ももてあまし、控訴人の父に来てもらって話合っているうち、控訴人が激昂し、死にやがれなどと言ってCの髪の毛を掴み引っ張ったりしたということもあった。
6 同年七月被控訴人は、少し冷却期間を置いた方がよいと考え、新津市下興野に家を借り、Cと別居することとし、控訴人も、これからは子供達を中心にした生活をし、やがては自分達の家をつくろうという被控訴人の約束を信じて結局これに従い、子供二人と共に吉岡の家を出た。ただその際、控訴人は、家を建てるため被控訴人が拠出した約七〇万円の金員をCから返してもらわなければ家を出ないと言って被控訴人を困らせたことがあった。しかし、下興野に居を構えた後も、控訴人は、Cと被控訴人の悪口を言い続け、被控訴人との口論は絶えなかったし、他方被控訴人もCとの接触をやめようとはしなかった。
7 その後、被控訴人は、前記田巻のすすめで、一時田巻の新潟市の支店で訴外Dと共に洋服仕立の仕事に従ったが、Dが事情あって辞めるのに伴って自らも辞め、昭和五一年九月頃Dと共同で新津市古田において洋服店を開くこととし、控訴人も子供達と共に古田の店舗兼住宅の借家に引越した。当初は、控訴人も気分的に落着き、被控訴人の仕事も順調に行くかに見えたが、Cが、古田を時折訪ねるようになってから、またも控訴人は、被控訴人に対し、被控訴人親子の悪口を言って、被控訴人に当り散らし、第三者にも被控訴人ら親子の悪口を言うようになった。そうこうするうち、被控訴人の仕事も経済的にはかばかしくなくなっていった。
8 昭和五三年三月一七日、被控訴人は、Dとの些細な金銭的なトラブルもあって、仕事の面でも面白くなく、控訴人との関係は相変わらずという生活に嫌気がさし、D宛てに迷惑をかけてすまぬという趣旨の書置を残して、控訴人には無断で家を出て、目的もなく大阪へ行った。その際Cには行く旨告げたところ、Cは「おう、行ってこいや」と述べただけであった。
被控訴人は、翌日吉岡のCのもとに帰っていたが、控訴人は、被控訴人が家出したため捜索願を出したりしたところ、被控訴人からの連絡でその所在を知り、実家の父を呼んで被控訴人と夫婦としての共同生活をやり直すか否かの話合いをしたが、結局らちがあかず、控訴人は、古田の家から家財道具を運び出し、子供二人を連れて控訴人の実家に帰った。ところで、その頃あった被控訴人のDに対する分約四〇万円その他の負債は、Cが貯金を降ろして始末した。
9 その後、被控訴人から控訴人に対し、昭和五四年に離婚の調停が申し立てられたが、調停委員のもう一度やり直してはどうかとの説得もあって取り下げられ、被控訴人もやり直す気になったこともあったが、控訴人との話合いがうまく行かず、同五五年再度の離婚調停の申立も不調となって、同五六年四月本訴提起に及んだもので、今日まで控訴人との別居が続いている。
現在被控訴人は、吉岡の家でCと同居して、洋服仕立の下請仕事をしており、自家用車などを持った余裕ある生活をしているが、昭和五八年二月一五日に婚姻費用分担の調停により、控訴人に対し婚姻費用(二子の養育料)の分担として同年二月以降毎月子一人につき金一万五〇〇〇円を支払うこととされたにもかかわらず、結局同六〇年一月分まで支払ったのみで、以後は、控訴人が被控訴人の営業を妨害し、信用を傷つける行為に及んでいるとして、全く送金をしていない。他方、控訴人は昭和五八年四月以降生活保護を受けながらパートタイムの仕事をし、一貫して被控訴人との離婚を拒否し、子供のためにもと夫婦親子の共同生活の回復を願っている。Aは高校を卒業して横浜に働きに出ており、Bは高校二年を卒えたところで控訴人と共に暮らしている。
以上の事実が認められ、証人甲野Cの証言及び控訴人、被控訴人各本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右事実によれば、現在控訴人と被控訴人との婚姻は、当事者の性格や一〇年間の別居状態が続いたことを考慮すると、一見その回復の見込はない状態にあるかに見えるが、その原因について考えると、控訴人の極めて執着心が強くまた勝気でやや攻撃的な性格が右のような状況に至らせた一因であることは否定し難いが、Cの気丈で勝気な性格や同人の余りにも常軌を逸した控訴人に対する仕打が、被控訴人の優柔不断というか、後になるに従ってCベったりとなっていった対応とあいまって、控訴人を必要以上に刺激し、控訴人の前記認定のような言動を誘引したことこそ、その主因と見るのが相当である。
そうだとすると、控訴人と被控訴人間に限ってみれば、両名間に未成年の子二人が居り、うち一人は高校在学中という明らかな未成熟子であることをも考慮にいれると、その婚姻関係は回復不可能とまでいえるかどうか、当裁判所は判断に苦しむところである。
この点を少しく立ち入って更に考察すると次の如くである。
被控訴人は、当審における本人尋問において、「控訴人ともう一度やり直そうという気をなくしたのは当審においてである」と供述するが、そうとすれば、二度の離婚調停を経た上での原審への本訴提起は何であったのかたやすく理解し難いところである。そしてまた、当審における累次にわたる口頭弁論、証拠調べの全過程を通じて、当裁判所は、控訴人と被控訴人間に、通常控訴審にまで至った離婚事件の当事者間にみられる定型的ともいえる一種の緊張関係が遂に感得されなかった。より直截に言えば、Cといういわば遮断幕のあちらとこちらで相互に非難しあっているのではないかとの心証を払拭しきれないのである。成程、被控訴人と控訴人とのそれぞれの陳述書〈証拠〉には、かなり激越な、もはや絶望的ともみえる非難の応酬があるが、それとても彼此対照しながら仔細に追ってゆくと、多分に誇張と潤色に彩られ、これを額面通り受けとることは危険であるというべく、また、いずれもCの存在及び言動を抜きにしては考えられない出来事の展開が記述されているとの感を深くする。そして、そのC自身、当審証人として「仮に私がいなければ被控訴人と控訴人とは仲良くするんじゃないでしょうか」と証言しており、同証人田巻信二は、Cと控訴人との「どちらも気丈だからということで、どちらかがおりればこのようなことにはならなかったと思います」と証言し、また、同証人D満も「被控訴人が下興野に居た頃も古田にいた頃も、被控訴人夫婦の仲は悪くありませんでした。もし悪ければ、私は一緒にやらなかったでしょうね。控訴人とCとの間は仲が悪いが、夫婦の間は良いと見て感じました」と証言する。そのいずれもが心証を惹くに足りる。そして、前記の下興野への転居、古田からの被控訴人の家出はもとより、何度か試みられた同居の話合いの挫折なども、Cの存在を措いては考えられないことが、〈証拠〉によって知られるところである。加えて、被控訴人には他に然るべき女性が存在するやについては、〈証拠〉中、これに添う部分以外には、本件全証拠を以てしてもこれを認めることはできず、右部分はたやすく措信できない。
してみると、今の時点で、控訴人と被控訴人の婚姻関係の回復可能性について、これを全く否定し去るには、ためらいを覚えざるをえないのである。換言すれば、婚姻破綻の証明はつかないということに帰する。
のみならず、たとい現にその婚姻関係が回復不可能なまでに破綻しているとしても、本件は、前記のところから明らかなように、母一人子一人の家庭(ちなみに、前掲乙第一、一七号証、証人甲野Cの証言及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、Cの夫で被控訴人の父はC二七歳、被控訴人一歳の頃戦死し、また、Cが再婚の夫と協議離婚したのは昭和二三年で、当時C三二歳、被控訴人六歳であったこと及び被控訴人と控訴人が婚姻したのはC五二歳の時であったことが認められる)に迎えられた妻に対する姑の嫁いびり延いては追出しの典型的ともいえる事案と考えられる。すなわち、Cは、当審における証言において、「結婚して、最初に控訴人がうちに来て、私はあまりよくは思いませんでした……私は知らん顔をしていました」とか、「私は(控訴人が)嫁として来てから、一度もいい嫁だと思ったことはありません」とか、「見てて出来の悪い嫁だと思っていた」とかと繰り返し揚言して憚らず、また〈証拠〉によれば、結婚当初Cは、被控訴人がだまされて結婚したのだという趣旨のことを述べていたこと、及び夜中に控訴人、被控訴人夫婦の寝所に向って「あにや、何してたや」と呼びかけたりしたことが認められ、これらは、前記異常なまでの控訴人に対する言動の根柢にあるものを暗示するに足りる。他方、被控訴人のCに対する情愛も深甚なものがあり、前記行動態様のほか、当法廷における証人Cの証言時の被控訴人の介添振りは並々ならぬものが看取された。
そうすると、被控訴人は、Cの控訴人に対する嫁いびり延いては追出しの策動に加担し、これを遂行したものとの非難を免れえず、婚姻破綻につき専ら(ここでは主としての意)責任を有する者として、本訴は有責配偶者の離婚請求と断ぜざるをえない。そして、前記の如き婚姻期間約一〇年に比すれば別居期間約一〇年(しかも、その大半約七年間は本訴係属中の期間である)が不相当に長期間にわたっているとは即断できず、双方の年齢もいずれも同年の四七歳であり、未成年子二人のうち、明らかな未成熟子の高枚生が一人居り、被控訴人の現在までの前記婚姻費用の支払状況から察すると、今後の控訴人に対する財産的給付の可能性は極めて薄いといわざるをえない。その他、本件にあらわれた一切の事情を勘案すると、今、離婚の実現をみたときは、控訴人を現在より一層苛酷な状態に追いやるであろうことは十分に予見しうるところである。
そうである以上、被控訴人の本訴請求は、民法第一条の法意からしても、許されるべきではない。
従って、被控訴人の本訴離婚請求は失当であるからこれを棄却すべきである。
②夫が妻や障害のある子どもに対して嫌がらせなどをした事案
1審(東京家裁平成19年8月31日判決)
1 証拠(甲1~3,5~8,31,32,乙3~10,証人E,原告本人,被告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1) 原告と被告とは,□△△△勤務時代に知り合い,交際を始め,昭和51,2年ころからは同居していたが,原告の母は原告と被告との結婚には反対であった。被告が長女を妊娠したことから,原告と被告とは入籍することを認められ,昭和53年×月×日に婚姻し,昭和○年○月○日に長女Eをもうけた。
(2) 原告は,□△△△に勤務していたが,昭和56年×月,同社を退職し,同年×月から昭和57年×月まで□□△△に,同年×月から平成10年×月まで△△△△に勤務し,同年×月から○○△△株式会社に勤務している。また,平成15年×月に相続した土地で駐車場を経営するために有限会社○○○○を設立し,同社からも給与所得を得ている。平成16年の収入は,両社からの給与所得が合計1193万6900円であり,そのほかに,○○○○に対する土地の賃貸料として237万6650円(所得金額)を得ている。
被告は,□△△△に勤務していたが,婚姻前に同社を退職した。その後,平成6年初めころから平成13年×月ころまで□□□に勤務し,退職するころは月収約20万円(手取り)とボーナス約20万円を得ていた。また,平成15年から平成16年までは介護ヘルパーのパート勤務をしていたが,現在は働いていない。
(3) 原告と被告とは,婚姻後,原告の実家に原告の両親と同居して生活を始めたが,原告の母は,被告に対し,事ある毎に,「家柄が違う。被告は財産目当てで原告をたぶらかした。○○家の嫁として相応しくない。」などと言い,また,家事をすべて被告にさせるほか,○○家の嫁として相応しいように,生け花や洋裁といった習い事をさせた。そして,長女出産後も,被告は,原告の母から嫌がらせをされたり,小言を言われたため,ストレスで母乳が止まるような状態になったため,同年×月に長女を連れて実家に帰った。原告と原告の母とは,被告に対し謝罪し,台所と風呂を原告の両親と別にするように原告方を改築し,被告は,原告方に戻った。
(4) 昭和○年○月○日,長男Cが生まれたが,口蓋破裂等の障害を持って生まれたため,原告の母は「○○家はそんな家系ではない。」などと露骨に嫌がり,被告を責めるとともに,原告も,長男を一切寄せ付けず,だっこしたり膝の上に乗せたりして触れ合うことをしないなど,邪険に扱った。
原告と被告とは,原告の両親と別れて暮らすべく,同年×月,□△○のマンションに引っ越し,また,昭和59年×月,○×に引っ越した。しかしながら,原告の母から家賃の援助を受けており,週1回は実家を訪れることにされていたことから,このような生活も面倒になり,昭和61年×月,原告の実家に戻り,従前のように2世帯住宅で暮らすようになった。
長男は障害のため,ミルクを飲むのも大変であったが,被告は,通院や度重なる手術等も含め苦労して長男を育てていた。それにもかかわらず,原告や原告の母は,同年×月×日に二男Fが生まれると,健常者である二男だけをかわいがり,長男とあからさまに差別した扱いをするようになった。
(5) 平成5年×月,被告は,原告らの態度に耐えかね,子らを連れて別居するため,離婚を求める調停を申し立てたが,原告は養育費の支払を拒否し,また,「自分の悪いところは直す。長男への態度も改める。」と謝罪したため,調停は不成立で終了した。
ところが,その後も原告の態度は変わらなかったため,同年×月,被告は原告に対し,別居を申し出た。原告は,「1人で出て行け。」と言うので,原告は,子らは原告の元にいた方が経済的に不自由ないと考え,自分だけ近くにアパートを借りて,出て行った。被告は,当時まだ,中学3年,小学6年及び2年であった子らの世話をするために,原告方に通う約束であったが,原告の母が,「子のことは私がすべてやる。別居するならしていいが,この家には来るな。」と言うので,原告との約束に反して,原告方に出入りできなくなった。
(6) その後,原告は,原告の母の助力も受けながら,学費や生活費のすべてを負担して3人の子を監護養育した。
被告は,原告方の近くにアパートを借り,□□□で働いて生活し,長女や長男は時々被告に会いに来ていた。また,原告が長女や長男に与える小遣いが少なかったので,被告が長女らのために弁当を作ったり,長女の自動車運転免許取得の費用を出すなどしていた。
(7) 平成11年,長男は高校を中退し,その後万引き等を繰り返すようになり,その都度原告が警察へ迎えに行く等していたが,平成12年×月,長男は医療少年院に収容された。原告は,少年院に面会には行かず,手紙も出さなかった。
平成14年×月,長男は少年院を退院することになったが,原告は,自分で責任を取るべきであると考え,長男を引き取らなかった。被告は,やむなく,□□□の仕事を辞め,長男を引き取って□□で一緒に暮らすことにした。ところが,被告は収入がなく生活が苦しくなり,原告に生活費を求めたが支払ってくれないため,同年×月ころ,やむなく長男を○□の会社に就職させてその寮に住まわせ,自らは△△の実家に世話になることにし,介護ヘルパーの仕事をパートでするようになった。
長男は,仕事が長続きせず,原告方に来て金を持ち出したり,原告が知人に頼んで就職させてもらってもすぐに辞めてしまう状態であった。そして,平成16年×月,長男は車上狙いをしたことにより逮捕された。
被告は,同年×月から,長女方で世話になるようになった。現在は,腰痛等の持病があるほか,ホルモンバランスの乱れ等により体調がすぐれず,仕事はしていない。
(8) 長女は,短大を卒業した後,平成13年×月に結婚した。二男は,平成17年×月に○○大学に入学し,現在2年生である。
長男は,時々原告や被告に会うことはあり,被告が金を与えることもあったが,最近は所在も明らかではない状態である。
(9) 平成17年×月,被告は,原告に対し,婚姻費用の支払を求める調停を申し立て,同年×月,原告は,被告に対し,離婚を求める調停を申し立てたが,同年×月×日,離婚調停は不成立で終了し(甲2),同日,原告が被告に婚姻費用として月額14万円を支払うことなどを内容とする調停が成立した(甲5)。
2(1) 以上の事実に基づいて検討するに,原告と被告とは,別居してすでに12年以上が経過しており,原告と被告との婚姻関係はもはや修復不可能な状態にあるものと認められる。
(2) そして,前記認定のとおりの別居に至る経過によれば,被告は婚姻当初から原告の母からの嫌がらせに悩まされ,昭和54年×月ころに家を出たが原告らの謝罪により帰ったものの,その後も同様の状態は続き,昭和58年×月に長男が障害を持って出生した後は,原告及び原告の母の長男に対する冷たい姿勢に悩まされた末に,平成6年×月に家を出たものであって,さらにその後も原告らは被告の自宅への出入りを許さないなどしていたことから,両者の関係は修復することなく,破綻したものである。したがって,原告と被告との婚姻関係破綻の原因は,主として,このような原告の被告や長男に対する姿勢にあったものであり,原告は有責配偶者であるというべきである。
(3) そこで,原告の離婚請求が認められないかどうかについて検討する。
原告は,有責配偶者と認められるものの,不貞行為をしたとか,暴力を振るったということではなく,原告の母からの言葉等による嫌がらせや原告の長男に対する冷たい姿勢等に被告が悩んで家を出たものである。また,経済的な事情からとはいえ被告は長男らを置いて家を出ていったものであり,別居後の原告の監護態勢には,長女からすると小遣いをくれないとか,長男に対する態度が相変わらず冷たいものであった等の問題点はあるものの,原告は,母の助力も得ながら,学費,生活費等をすべて負担しながら,3人の子を成人するまで監護養育してきた。そして,現在では,いずれも成人し,長男は問題があるものの,長女は結婚し,二男は大学に在学しているのであって,離婚が直接子らの福祉に影響するという問題もない。
原告と被告との別居期間は,すでに13年近くなっており,それまでの同居期間(約16年間)に比べると短いものの,相当の長期間に及んでいる。
被告は,今離婚となると,被告が経済的に苛酷な状況に置かれると主張しているけれども,後記のとおりの経済的な給付が行われれば,必ずしも被告が苛酷な状況になるわけではなく,原告の経済的能力からすると,支払確保の可能性も高い。
これらの諸事情を総合して判断すると,原告が有責配偶者であるからといって,その離婚請求を認めることが,信義誠実の原則に反するとまではいえない。
(4) したがって,原告と被告との婚姻関係は継続し難い重大な事由があるものと認められ,原告の本件離婚請求は理由がある。
控訴審(東京高裁平成20年5月14日判決)
当裁判所は,被控訴人の離婚請求は理由がないものと判断する。その理由は,次のとおりである。
1 離婚原因の有無
当裁判所も,控訴人と被控訴人間の婚姻関係は破綻しているものと判断する。この点に関する事実認定及び判断は,原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」1及び2(1)(2)記載のとおりであるから,これを引用する。
2 被控訴人からの離婚請求の許否
そこで,有責配偶者である被控訴人からの本件離婚請求を認容することができるかどうかについて,判断する。
(1) 上記引用に係る原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」1冒頭に摘示の各証拠に加えて,当審において取り調べた証拠(甲39,乙12ないし22,24ないし27)及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる。
ア 平成14年×月に長男Cが医療少年院を退院した後,控訴人は,Cを引き取り,それまで勤務していた□□□を辞めて□□に転居して,Cと共に生活していたが,預貯金等の蓄えが底をつき,被控訴人からも経済的援助を得られなかったことから,同年×月に,Cが勤務先の寮で生活することとなったことを契機に,単身で△△所在の実家で生活した。しかし,Cが下記のような行動であったことから,同16年×月ころ,Cの更生を見守るために上京し,そのころから××所在の長女方に寄宿している。
イ この間,Cは,平成16年×月に車上荒らしを犯して,警察に逮捕,勾留される事件を起こし,その後,○□で派遣社員として勤務していたが同18年×月には無断欠勤等の理由で解雇され,□△に戻って,路上生活者として生活するなどし,新聞配達員や建設作業員として働くこともあったがいずれも長続きしなかった。控訴人は,Cに対して,同年×月から×月の間に合計26万円を送金するなどの金銭的援助を行うとともに,Cの相談相手となるなどしていたが,Cは,同18年×月に所在不明となり,長期にわたって全く連絡がとれない状態であったところ,同20年×月になって,ようやく連絡がとれ,所在が確認された。
ウ 控訴人は,従来から,更年期障害に加えて,腰痛を患っていたところ,被控訴人との間の紛争やCの将来に対する心労から,不安焦燥,抑うつ気分,集中力減退,不眠等の症状を呈するに至り,精神科医師から「抑うつ症」の診断を受けている。
エ 控訴人は,現在,家事調停に基づき被控訴人から婚姻費用分担金として支払われる月額14万円の給付で何とか生活をしており,他に資産も収入もないが,上記の疾病に加えて50歳という年齢からも,就労して収入を得ることは極めて困難な状況にある。また,現在寄宿中の長女方も,長女の夫の勤務先の社宅であり,同人の将来の異動等を考慮すれば長期間の滞在は困難である。
オ 被控訴人は,Cが医療少年院に収容されている間,一度も面会に行かなかったばかりか,書簡等により連絡を取ることも一切せず,同人が医療少年院を退院する際にも,身元引受人となることを拒絶した。そして,退院後に,Cが被控訴人宅を訪れた際にも追い返し,Cが高校再入学や就職のために経済的援助を求めた際にも一切これを拒絶している。
カ 被控訴人は,現在,□△□所在の宅地1076.82m2,□△△所在の田825m2につき共有持分(2分の1)を有するほか,Dや被控訴人等の所有する土地を駐車場等として管理する有限会社○○○○の持分(2分の1)を有し,その社員(持分権者)ないし役員(代表取締役)としての収入も得ている。
(2) 上記引用に係る原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」1記載の事実関係に上記(1)記載の各事実を総合すれば,被控訴人は,平成5年×月に別居を始めて以来,同17年×月に婚姻費用分担に関する調停が成立するまで,控訴人に対して,婚姻費用として何らの金銭給付も行っていないところ,控訴人は,現在,資産も,安定した住居もなく,被控訴人から給付される月額14万円の婚姻費用分担金を唯一の収入として長女方に寄宿して生活しているものであり,高齢に加えて,更年期障害,腰痛及び抑うつ症の疾病を患い,新たに職に就くことは極めて困難なものとうかがわれ,仮に被控訴人からの離婚請求が認容された場合には,被控訴人から婚姻費用分担金の給付を受けることができなくなり,経済的な窮境に陥り,罹患する疾病に対する十分な治療を受けることすら危ぶまれる状況となることが容易に予想されるところである。加えて,長男であるCについては,生まれつきの身体的障害に加えて,その後の生育状況に照らし,控訴人がその生活について後見的な配慮を必要と考えるのも,無理からぬ点がある。この点,被控訴人は甲39の陳述書の末尾においてCの処遇に関する決意を記載しているが,被控訴人のCに対する従来の態度が愛情を欠き,Cに対する金銭的援助を一切拒絶していることに照らせば,離婚請求が認容されれば,被控訴人とCとの間で実質的な親子関係を回復することはほとんど不可能な状態となることは,控訴人の危惧するとおりであり,経済面,健康面において不安のある控訴人において,独力でCの生活への援助を行わざるを得ないことになれば,控訴人を,経済的,精神的に更に窮状に追いやることになるものである。
被控訴人は,当審において,離婚に際して,1204万8000円(原判決の認容した1004万円の2割増)の金員支払を提示しているが,この点を考慮しても,離婚を認容したときに控訴人が上記のような窮状に置かれるとの認定は左右されるものではない。
そうすると,本件において,被控訴人の離婚請求を認容するときは,控訴人を精神的,社会的,経済的に極めて苛酷な状態に置くこととなるといわざるを得ないから,被控訴人の離婚請求を認容することは著しく社会正義に反するものとして許されないというべきである。
3 結論
以上によれば,被控訴人の離婚請求は理由がない。
4.有責配偶者と認定されるとどうなる?
以上の裁判例を見るとお分かりのとおり、有責配偶者からの離婚請求は原則として認められません。
①②のいずれの裁判例も1審では離婚請求が認められましたが、控訴審では結論がひっくり返っているのが特徴的です。
もっとも、有責配偶者からの離婚請求だからといって、絶対に離婚が認められないかというとそういうわけではありません。例外的に有責配偶者からの離婚請求が認められる要件があります。
この点については、また改めて説明させていただきます。
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